行き先
奈良 宇陀ガーデン
参加者の感想
宇陀ガーデン見学記
近鉄榛原駅のホームに降り立つと曇っていて薄ら寒い。駅前には私たち一行を待っていてくれたかのように小型バスが留まっている。他に乗客はいない。
宇陀は古事記や日本書紀の歴史を秘めた地と聞いていた。苅田の向こうには錦秋の小高い丘を背に民家が点在している。この辺りをのんびり歩いてみたいと思いながら窓外の景色に目を凝らす。
宇陀でバスを降りると目の前には、字陀ガーデンのハウスが広い敷地の中、丘の中腹辺りまで立ち並んでいる。雲闇から漏れる薄曰を反射して明るく、太陽の恵みを感じる。私たちは坂を少し上がった所の建物に案内される。従業員の休憩や食事に使われるこの建物は、三方がガラス窓で見晴らしがよい。私たち十三人がテーブルを囲んでゆったり座るのに恰好の広さである。わたしの正面、東側の窓の向こうには櫟の黄葉が映えて部屋の中まで明るい。作業に邪魔されることなくゆっくり見学できるようにとの計らいで休日の日曜を選んで下さったとのこと、温かい配慮に意謝する。
私たちを招いて下さった太田さんは抜きん出て背が高く、恰幅がある。失明して白杖を使っているが、広い園内を自由自在に歩いている後ろ姿を見ていると、ナビゲーションのような装置を携帯しているのではないだろうかと思うほど確かである。
太田徳昭さんは六十一歳、株式会社宇陀ガーデンの創立者である。三年前に社長を息子さんに譲り、今は会長として育て上げた会社を見守る傍ら、「奈良はぐるまの会」会長として福祉活動にも活躍されている。自己紹介ではジョークがあり、昼食時には菓子を配りあったりしてゆっくり時間が過ぎる。ユニーズのグループに初参加のわたしも和やかな雰囲気にすっかり溶け込んで会話に加わる。
網膜色素変性症でやがて失明すると宣告された時の太田さんのショックは、重度の視力障がいを持つ私たちにはよく理解できる。太田さんは少しずつ衰える視力で園芸を学び、それを職業として立ち上げ、現在の会社に育て上げた体験を淡々と語られる。「花の水加減は土や葉に触れる指の感触でわかる」など、花好きのわたしには共鳴するところが多いが太田さんの場合は趣味とは違う。数は多く、僅かな失敗も許されない。話の奥に秘められている苦闘の跡を垣間見る思いで体験談に聞き入る。字陀ガーデンは東は関東一円から西は九州まで、ほぼ全国の市場に出荷している関西屈指の園芸会社である。園芸ハウスは大小三十を数え、広いハウスは五百坪もある。
話が済むとハウスの見学に立ち上がる。播種から開花までの作業や、育ってゆく苗の説明を聞きながら幾つかのハウスを巡り、指先で実感する。
即売を兼ねたシクラメンハウスはまさに楽園だ。「シクラメンは三分のニほど出荷した」と聞いていたが、五百坪あるというハウスの大半を埋め尽くしていた。篝火花《かがりびはな》の和名にふさわしく、赤、白、緋、紫、ぼかしなど、燃え立つように人々の顔を染めていた。何千鉢の中から選んだ一鉢を大事そうに抱えて見せてくれた友がいた。「照れくさくて嫁さんに有り難うなんて言えないから土産に買った」という友の声もあった。篝火花の中、皆の顔はほほえみ、声は弾んでいた。
シクラメン抱《いだ》けば母の眼差《まなざし》に
色問ふて妻へ土産のシクラメン