一人の手
ユニーズ京都では、他府県から京都へ出て来られる視覚障がい者に「目の提供」をする活動を行っています。
あるケースです。
その視覚障がい者は、京都へ出て来るにあたって、新幹線で京都に着いた際、降り口から改札口までのサポートを
京都駅の職員にしてもらえるよう、乗車する駅職員に御願いしておいたとのこと。
ところが、当日、担当のアイヘルパーが待ち合せ場所の改札口で待っていたところ、当の視覚障がい者が一人で白杖を使いながら現れたそうです。事情を聞いてみると、職員が出迎えてくれなかったので、周囲の人に聞きながら改札口まで辿りついたとのこと。
その視覚障がい者が帰郷されてから、こちらから、その方に「今後のこともあるので、地元の駅には、きちんと京都駅へ連絡をしてくれたのか?連絡済みであったとしたら、京都駅に、実情を訴えたらどうだろうか。何より当事者の生の声を届けることが力になるのだから」と伝えました。
昨今の駅ホームからの転落事故は、当事者のみならず、鉄道関係者、周囲の一般市民にとっても、見逃してはおけない課題です。
その視覚障がい者からは、「そのようなことに労力を使ってまで問い合わせようとは思わない。視覚障がい者もさまざまでしょうが、これまでも、こうしたことに抗議や申したてはしていないし、今後もしようとは思っていない」との返答がありました。
障害の有る無しに関係なく、「抗議する」というようなアクションをすること自体に抵抗感のある人も多いのかもしれません。
しかし、一つひとつのケースを見過ごしてしまうのではなく、たとえそれが小さな声であっても、丁寧に積み上げていくことによって、新たな問題点がみえ、それに向けての改善策がこうじられていくことでしょう。
本田路津子の歌に、一人の手というのがあります。
一人の小さな声 何も言えないけど
それでも みんなの声が集まれば
何か言える 何か言える
市民活動の原点ではないでしょうか?