「あゆみ」
6.JAL避難体験会に参加して
1998年初春。京都日航プリンセスホテルにおいて、「視障者搭乗時の避難訓練に関する説明会」が催された。
この企画は、乙訓点訳サークルのT氏の知人であるK氏のお力添えで実現した。
当日は、まずK氏から、この説明会に至る経過についてご説明があった。
K氏は、1985年におきた御巣鷹山の日航機墜落事故で、同機に搭乗されていたご息女を失われている。その事故のさい、異常事態から墜落までに搭乗者全員が救命胴衣を装着できる時間的余裕が30分も有ったにもかかわらず、520名もの尊い命を救うことができなかった。このことにK氏は強い怒りと疑問をもたれて、「娘の供養のためにも」と悲痛の中から「航空機安全国際ラリー」の組織づくりにご遺族有志と立ち上がられた。そして、その代表者として国内は元より、航空機については先進国である米国を始め諸外国を視察されながら、より安全な飛行環境整備の実現に向けた活動を続けておられる。
そんな中、「安全のしおり」の点訳版を目にされました。点訳活動をされているT氏に、墨字版に比べ簡略すぎると感じられた旨をご相談されたのです。
こうした経緯を、ボランティアグループの集まりの中でT氏から伺い、視覚障がい者にもぜひ実際に避難体験をさせてもらえないだろうかと希望を出しておいた。
そのことをT氏よりK氏に話して下さり、今回の説明会が実現したのである。
説明会では、救難訓練センターの元教官であったN氏の小気味の良い説明で、酸素マスクの下がっている位置や実物に触れることもできた。救命胴衣を装着したが、これは何物かも、前・後も分かりにくい物であったが、一人ずつ体験することができた。
後半には、質疑応答の時間がありました。「救命胴衣のベルトの止め金が硬くて容易には付けられない」⇒「そんな時には見えている方に手伝ってもらわれたら」。「一応盲導犬と搭乗される時には、口輪をご持参いただくようにお願いしている」との説明には「ユーザーは、そうした物を持ってもいないし、監督指導の上からもそうしたことは撤廃されている」と訂正を求めました。「非常時。持ち物は後で買うことが出来ますから、何も持たずに脱出して下さい」というお話に「盲導犬もいますが?」⇒「盲導犬は体の一部ですからご一緒に」といわれても、55度もある傾斜を犬と一緒に滑り下りることが果たしてできるだろうか?と考え込んだりもしました。
見えない者にとって、こうして実体験させてもらえることが何よりの学習になるのです。