「あゆみ」
8.点字教室 その2
1970年代は、点字にようやく読点とか句点が用いられるようになったころだ。視覚障がい者の中には、余分な記号を入れると触読し辛いく「マスあけ」だけの方が良いという考え方の人も多かった。そのニーズを満たすには文章の「キレ続き」をどのように表すか?このことも点訳学習においての大きなテーマとなっていた。
この教室を開講した最大の目的は、視覚障がい者のことを少しでも知ってもらう場、そして、仲間となり活動への参加に繋げる。という思いであった。しかし、受講者の関心事は「ここは切るの?それとも続けた方がよいのか?」という点字の学習に留まり、学習後半に予定していた視覚障がい者の実情を伝えるという時間はほとんど取れない状態だった。
点字が習いたい!と思って来講する人は多いにもかかわらず、初回だけで止めていく人が少なくなかった。紙打ちする作業そのものが思っていたこととは違ったのかもしれない。50音の仕組みに面白さを感じて点字の文字を覚えるまで受講したが、漢字を正確に読むという段階で欠席してしまう人もあり、次の段階である「キレ続き」のルールの習得時には3割程度になってしまった。
私は長年にわたって点字を学習する人たちと接する中で、自分なりに「点字を通してその人の性格が分かる」と感じてきた。もとより、漢字や文法などに習熟しておられる人は、それなりに学習の程度も速く確実に進んでいかれるが、それを除いてもいろいろ見えてくるようである。
毎回出す宿題を、次回の教室に出て来られるときに提出してもらうことにしていた。点字用紙のヘリが折れているようなものもある。点字は打ち出されたものが文字として読める訳だが、打ち込んだ凹面を上(表)にした状態で出してくる人もいる。
私はそれを触ることで確認するのだが、点字の書き表し方にも、その人の丁寧さ・優しさが現れるものである。間違った所を消すという作業にも指先に感じるものがある。ちょっとした気遣いや日ごろの有り方が感じ取れることもある。